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不気味な指 2002.9 〈リード使いに反省〉 |
数年前から左手の小指が黒ずんできた。冬は目立たないが、夏になると第二関節下2cm程の色素沈着がじんわりと発症するのだった。 職場の近くにあった民家のような医院に行き、ケラチナミンを貰い、隣県の大学病院にも行き、軟膏マイザークリームを2本貰い、せっせと塗りたぐっても全く治る気配はなく、その黒ずみは約3cmまで広がってきた。 3度目の正直に賭け、隣町の総合病院に行った。受付をしなくても優遇されるので気持ちがよいが、不気味な手は気持ちが悪い。ここでも明確な診断結果が出ず、今度は軟膏エルタシンとリンデゾンも貰ったが、途中で止めてしまうの繰り返しで何ヶ月も経過した。私は皮膚病の薬大臣になったが、黒ずみは手のひらの外側まで広がった。かなりヤバイ症状で、ちょびちょび病院に行ってる場合じゃない! ここで私は都内の有名な大学病院に行く決心した。9月27日、皮膚科に紹介状を書いてくれた方は、その病院のお偉い方なのですっぽかしはできない。電話でメラノーマではないだろうと言われた。ガンじゃないだろう・・・だろうって?これからが本筋なのである。(一服したい人は、今のうちにどーぞ) 翌日病院に行き、診察室に入ったら、主治医と若い医師と医大生が数人ノートを持って並んでいてギョッとした。私の指を診察した後、何やらヒソヒソし始めた。な・なんなんだよ〜ドキドキさせやがって。その後処置室に入り、坊ちゃん刈りの若い医師が「私達も大変なんです」と言った。(何がだよ〜)「このような場合、完全な防御をしなくてはならないし、お金はかかるし」(だから、なんだっちゅーの!)ええいっ、うっとしいやっちゃ!「エイズの疑いがあります」と簡単に言いやがった。ガンの可能性も! なんだって?感染症検査の承諾書にサインだって?確かにその書類には「肝炎・エイズウイルス・梅毒の検査承諾書」って書いてある。当然のことながら病院は秘密を守りますとも書いてある。何てこったい!おとなしく採血された後、まだ話の続きがあるので待ってて欲しいと言われた。待合室でさくらももこの本を読んでいた。こんな状況の中プッと笑えるこの本と、こんな自分の凄さを知った気がした。 暫くしてお呼びがかかり、いきなり次回に手術をすると言われた!今度は皮膚を直接採取して検査するので、手の皮膚を少しえぐる形で取ると言うのだ。1cm位なので術後の傷跡は目立たなくなるプローベ手術だ。こうなったら潔白を事実で証明するしかない。その上毎週火曜日に病院に来て私の症状を皆に見せ、話し合う実験台(カンファレンス)になって欲しいと言われた。「こんな遠くまで毎週来られない」と言ったら「大事な事なんですよ」と言った。その日は軟膏キンタベートが出された。 10月11日に下手っぴな坊ちゃん医師のもと私のフォローで写真を撮りながらの皮膚採取は終わり、またカンファレンスの依頼を受けたので断った。その後消毒や診察で3.4回足を運び、医療費の他に電車賃や駅の駐車場代を含めると、相当な出費になっている。また、包帯グルグルの手は痛みもあり、傷跡がよれないようにあまり使えなかった。日常の生活にさほど支障はなかったが、左手が使えず唯一困った事を発見した!!数年前からの症状、そしてこの困った事・・・しまった!気づくのが遅かった・・・ 10月26日に最終結果が出ることになり、通院の気持ちが薄れているが、すっぽかすわけにもいかない。その日診察室に入ると、主治医が「検査結果では、何も異常はなかったです。なんだろう・・・」と首をひねった。私は開口一番「先生、左手が不自由でも問題なかったのですが、たった一つだけ困った事がありました」と言った。並んでいる学生も息を呑んで耳をダンボにしている。そこで私は「犬の散歩に困りました」と言った。「これはリードの摩擦だと思います」と続けた。一斉に学生がノートを取るカリカリカリと音がした。「なるほどねぇ〜」主治医はうなづいた。 そうなのだ!リードを短く持つ私は手に余ったリードをグルグル巻いていたのだ。それが原因なのに、こんな遠くまで何回も足を運び、人生が変わるような事を言われ、一瞬でも「今のうちにしておきたい事」を考えさせられたのであった。帰りは坊ちゃん医師に「患者の接し方」を教えてやった。その後リードは、タンコブを作り短くして持ち、手には軍手を2枚はめる事にしたら、その症状が無くなった。一体、あれは何だったんだろう?取り返しのつかない大失敗であった。 ![]() |
ひかれた 前足 2000.10 〈チャリ操作に反省〉 |
知人に新品チャリを1万円で譲ってもらい、チャリ太郎と命名した。毎日チャリ太郎をビュンビュン飛ばしている私に、タバコ屋のおばさんが「転ばないかい?」とか「気をつけて」と声をかけてくれ、いつも私は笑って「ぜ〜んぜん大丈夫♪」と返事をしていた。 その日も右手でハンドル、左手でリードを持ち、さくらも体を丸めてジェットコースターのように猛ダッシュした。家を出てから100mもたたない場所で、事件は起こった! 急にネコが飛び出してきたのだ。さくらはそのネコを追いかけようと、いきなりチャリ太郎の前に飛び出した。「あっ、あぶない!」ゴツゴツと鈍い音がした。「危なかったね〜早く行こう!」と、散歩を続けた。家に帰って玄関に入り、さくらの足を拭こうとした。「ギャ〜〜〜ッ!」 さくらの前足(前肢)の指先が真っ赤になっていた。私はその時初めて、さっきの鈍い音は、さくらの足をひいた事だと知った・・・「ごめん、ごめん、ごめんね」と繰り返し、骨折していない事を願いながら、急いで知人のもとに連れて行った。 応急処置をしたくても、さくらはご機嫌ななめで、消毒をしようとした手が、出ては引っ込み、まるで『箱の中身は何だろうなゲーム』のような状況だった。「自分ちの犬をひくなよなぁ」と言われても返す言葉がない。やっと消毒をしたが、軟膏は塗れなかった。「うがい薬に使われるけど、消毒にいいよ」と、ボトルに入れたイソジンと脱脂綿を貰って帰ってきた。家に帰りいい子になったさくらに軟膏を塗ってあげた。「本当にごめん。。。」 今更ながら、何事もなかった今までが幸いだったのかも知れない。それから私は、さくらの自由が利かないように、リードを短く持ち、左手は前方ではなく、真横に出す事にした。その後ちゃんと私の左側だけを走れるようになったが、さくらは時々私を見上げ、またひかれないか様子を伺うようになった。鉄砲玉のような走り方が、時々振り向く走り方に変わった。 さくらの傷は指先の亀裂ですぐ治ったが、散歩より運動をさせたかった私は、単純な事ができていなかった。チャリ太郎は『いつでも急停止できる状態』また、『リードに遊びを持たせない』を意識するようになった。 |
人を咬んだ 1999 〈食事管理に反省〉 |
なかなか言えなかったけど、正直に報告すべき事がある。さくらは今までに一度だけ人を咬んだ事がある。人を傷つけてしまったのだ。 それは、食事をきちんと摂るまで苦労した時期に起こった。固形飼料を与えていたが、3日位は食べないのが毎度の事だった。もっと長い時もあったのだ。でも、おやつは欲しがる。私はかわいそうだと思い、おやつを与えた。 そんな時、さくらを連れて実家に行き、定位置の植木に繋いでおき、私は家の中で話し込んでいた。さくらの食欲不振の話を聞いた母が心配し、”から揚げ”を私の見ていない所でひとつ食べさせてくれた。それをさくらは夢中で食べたらしく、母が「ちゃんと食べたよ」と言いに来た。その後母はもっと多くの”から揚げ”をさくらにあげに行った。 しばらくして母が「やられちゃった・・・・」と玄関に入ってきた。なんだろうと思ったら、母は両手を前に垂らし、その両手から血が流れ落ちていた。「まさか!」冷や汗が流れた。さくらがそんな事するなんて・・・いったい何があったんだろう・・・何かの間違いであって欲しい・・・と痛切に感じた。 さくらの様子を見に行ったら、大人しく座っている。さくらに咬んだ事を追求しても何も言わないが、叱りながら悲しくなった。さくら自身も、自分が悪い事をした事はわかっているようで、小さくなっている。 原因は、お腹が空いているさくらが、夢中で”から揚げ”を食べていた時に母が手を出し、それを取られると思ったさくらは、急に咬み付いたとの事だった。 こうなったのも、私が食事の躾をきちんとしなかったからだ。。。と思った。あってはならない事だけど、これが他の人でなくて良かったと内心思った。治療費の請求は懐を痛めるだけだが、保健所に連絡します。などと言われたら、どうにもならない。この件で私は、さくらが食べなければ何も与えない事を徹底した。また、何もしなくても他の人が近づく環境を避けた。 その後、さくらは固形の他は何も貰えないとわかると、朝夕ちゃんと食べるようになった。必要以上の過保護や人間の食べ物の味を覚えさすことは、犬のためにも人のためにも良くない事が身にしみた。 |
落し物 1999 〈運転に反省〉 |
私は以前さくらを乗せるにはとっても不便な車を乗っていた。ツーシーターの為、助手席しかさくらを乗せられなかった。お気に入りのレザーシートもダッシュボードも爪あとでギザギザになっていたけど、それはぜ〜んぜん気にしなかった。 とある休日、いつものようにさくらと同伴出勤した時の出来事である。さくらは大喜びで車に乗り、選挙カーのように窓から顔を出し笑顔を振りまいていた。狭い助手席内でもあちこち動いて、「おすわり!」と言うと3秒くらいしかじっとしていなかった。演技派のさくらは、座っているフリをして少しだけ腰を落とし、いつでも動ける体勢だったりしてた。 そうこうしているうちに職場に着いた。そこで私は「あ〜〜〜〜っ!」と悲鳴をあげた。さくらがいない!どこかでさくらを落としちゃったのだ!もう心臓がバクバクして、「事故にあわないように」と願いながら、急いで来た道を戻ったのだ。 どこでどうして落としたのか全く検討もつかず、さくら本人も「バイバ〜イ」の挨拶もなしに落ちていったのだ。まさか落ちるなんて思っても見なかったので、私の不注意で何かあったら、どうしようかと怖くなった。 暫くして、道の横っちょに白い物体を見つけた!急いで側にいったら、さくらだった。 さくらは顔も体も固まっていて、まさに「ここはどこ?私はだれ?」状態で目が点になっていた。普通なら逃げ出すさくらが、全く動こうとしていなかったって事は、さくらも自分にふりかかった状況が整理できていないようだった。 急いでさくらを抱きかかえ車に入れた途端、ドッと疲れが出た。「本当に良かった」と心底思った。さくらを落とした原因は、パワーウインドウのスイッチが、車内の真ん中のダッシュボード?に付いていたので、ウロウロしているさくらが無意識のうちにスイッチを押し、全開になった窓から落ちてしまったのであった。曲がり角で落として自分でひいてしまう可能性もあったし、いきなり飛び出したさくらを後ろの車や対向車にぶつかる可能性もあったと思うと、ゾッとした。さくらを乗せるには、このスポーツカーでは無理あるとその時思った。 それからは、必ず短くしたリードを左手でしっかり掴んだままハンドルを握ることにした。今思い出してもドキドキする”落し物事件”であった。 |
帰れない 1998 〈鍵の持ち方に 反省〉 |
さくらが家に来て2.3ヶ月くらいは、散歩で時々ノーリードにしてあげる時があった。他の犬が来るときはさくらを呼んで、またリードをつけるか抱っこしていた。 ある夜、ふとさくらが見えなくなり、足音もしないことに気づいた。さくらが喜ぶので、車も通らない畑道でも怖くなかったが、改めて見回すと闇夜の静けさは走り出したいほど怖いものだと知った。その辺で寄り道をしているのかと思い「さくら〜」と呼んだら、あっちの方で微かにパシャパシャと音がした。 「まさか!」そのパシャパシャを目指して引き返し、田んぼの堀を覗いたら、暗い堀に白い物体がすっぽりはまっていたのが見えた。さくらだった!小さな堀なのに、急に降りかかった状況に固まってしまったのか、出られなかったのだ。声も出さず私の呼びかけにパシャパシャするだけだった。私は急いで濡れたさくらを抱きかかえ、走って家に帰ったのだ。怖くて驚いた。もうこりごりだと思ったけど、この後もっと恐ろしい事が起こったのだ。 それから暫くして、また闇夜の散歩でさくらが堀に落ちたのだ! ちゃんとリードを付けていたのに滑って落ちてしまったのだ!今度は側溝のような小さな堀ではなく、80cm位の幅で深さも60cmはある人間が跨ぐのも躊躇するくらいの堀だった。田舎の堀は、コンクリートで整備されておらず、自然のままで雑草も伸び堀と道の境もわからない場所もあるのだ。 その堀は、怪しい生き物がいそうで手を入れるのが怖かったが、さくらを助けるため、泣く思いで両腕を入れさくらをすくい上げた。とにかく早く帰りたい!急いで走り出し、さくらも私もビショビショのまま家に帰り、玄関を開けようとしたら、な・なんと鍵がない!「うそでしょう?」さっき掘に落とした事はすぐわかった。 携帯もないし誰にも連絡できない。寒くて臭くてどうしようもない。こんなドブ臭い私たちに気づいてくれる人もいない。さくらは私の腕の中でブルブルしている。本当に泣きたくなった。ガラス窓を割るしかないのか・・・ でも、私は決心した。堀に戻る事にしたのだ。さくらを抱いたまま、さっきの堀に行ったのはいいが、何処をどうやって探せばいいのかわからない。懐中電灯も持ってこられないのだ。覚悟を決めた以上、その怖い堀に肩まで入れ、ヌルヌルした底を探り続けた。感触がプルプルするほど気持ちが悪い。ヒルや奇妙な虫が絶対いるに違いない。世間ではコタツでみかんを食べながらTVを見ているだろうに、私は冷たく臭い堀でヒイヒイしている。しかもびしょ濡れのさくらを抱えたまま、堀にまたいだり、這いつくばったりして探した。泣きたいどころではない。大泣きしたい!ヌルヌル・どろどろの底がすんごく怖いけど、泣いても何も進まない。私は必死で探し続け、とうとう鍵を見つけたのだった。 それ以来、私は散歩に行く時に鍵は持たない事にした。 |